カテゴリ: 自然 地域: 篠山城跡周辺 記録者: きしやん (登録日: 2017/03/21 更新日: 2019/07/04)
早春に葉よりも先に枝一面にレモンイエローのような黄色い線香花火のような小さな花が20〜30輪ほど放射状に集まって咲きます。木全体が早春の光を浴びて黄金色に輝くことから、別名はハルコガネバナ(春黄金花)と言われ、果実がグミに似てることからヤマグミとも。ネットで調べると宮崎県の民謡「稗搗(ひえつき)節」に「庭のサンシュの木・・・」と歌われており、これがその花です。稗搗(ひえつき)節は歴史の波に翻弄された悲恋を語ったもので、今もこの地で歌い継がれてるそうですよ。平清盛の孫・鶴富姫は壇ノ浦で平家が滅びた後、宮崎県の山中まで逃げ延びてきた。そこに現れたのが源氏きっての弓の名手、那須与一の弟「那須大八」で、源頼朝の命により平家一門を根絶やしにするべく追討にきたのです。ところがひっそりとつつましく暮らす彼らを見て、大八は哀れに思い追討を断念して、幕府には討伐を果たしたと偽の報告をした。それだけでも首が飛びそうなのに、なんと大八は鶴富姫に恋をし懐妊させてしまう。そんな矢先、幕府から即刻兵をまとめて帰れという命令が届いた。しかし、仇敵平家の姫を連れて帰るわけにもいかず、名刀「天国丸」を与え、「生まれた子が男なら我が故郷下野へ参じよ。もし女ならこの地で育てよ」と言い残して去った。果たして生まれた子は女の子だった。姫は大八の面影を抱きながら、二度と会うことはなかった。まあ〜今ならお昼の番組でコメンテーターにボロクソに言われるでしょうね。ただ思うに歴史の記述というのは、その時々の支配者が歴史学者(朝廷?)に命じて書かせたものだということ。つまりあくまで紙上に記された記録。当時の権力者の都合の悪いことや、それに反逆した者達の多くはまず記述されなかったことでしょう。義経の八艘飛びや鵯越の逆落としなんて、もうこれはSFの領域でしょうか。でもそれは膨大な時を経ても口伝しながら今も歴史のハイライトシーン。おまけに平泉で死んだのではなく蝦夷地から大陸に渡って成吉思汗(ジンギスカン)になったなど等々・・・なるほど今ならばネットやいろんな媒体で、その真偽は瞬く間に審査?されてしまう。ウソや誇張も数時間のうちにバレてしまう。ただ混沌とした時代では、いつも大衆は新しい流れをつくってくれるヒーローを求めるもの。もしかすると私たちの世代は途方も無い情報の海にいて、あまりにも一点の曇りも無いヒーローを求めすぎているのかも知れないのかなあ〜って、つい思ってしまいます。。。
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