カテゴリ: 営み 地域: 篠山城跡周辺 記録者: きしやん (登録日: 2015/10/13 更新日: 2019/07/04)
日本遺産認定に沸く篠山市ですが、ここ「お徒士町通り」は11年も前に美しい日本の歴史的風土100選、美しい日本の歩きたくなる道500選に選定に選定されているそうです。案内板によると(マジメに読むのはこれが初めて・・・)築城と同時にこの武家屋敷群が造られ、天保元年(1830)の火災により大部分が焼失。その復興の際に屋敷は六尺後退させたと。ご存じのとおりそのうちの1軒は安間家史料館として今も公開されてます。ちなみに徒士(かち)とは「騎馬を許されてない軽輩の武士」だそうで、今の会社組織でいうと係長クラスかと。安間家の禄高は12石3人扶持ということですが、茅葺きの母屋と門、それに同じく茅葺きの土蔵が残ってることを思えば、現在の私たちよりは恵まれた住宅事情だったのではないでしょうかね。今で言うセットバックのことですが、間口は八間(14.5メートル)はそのままなので、当時の佇まいは感じられます。ちょんまげ帯刀姿の武士がひょっこりと出てきても、そのまま納得してしまいそうなタイムスリップ感がありますよ。「はて・・お徒士町にはどれくらいの武士が住んでいたのだろう」と思ったので、かなりざっくりですが歩幅を数えながら歩いてみることに。まあ〜途中に駐車場や市営住宅・変電所・竹藪がありましたが、大雑把なところで約400メートル。旧篠山中学校のときにうんざりするほど走らされた外堀1周が約1.6キロと聞いていたのでそんなもんかな。つまり400÷約15=26.6・・・で、片側にはおよそ25軒。両側だと約50軒の徒士が住んでいたことになる。ところが安間家の禄高は12石なので、他も同様とすると、その50倍でもたったの600石にしかならない。青山藩は六万石なので他にも武士がいたとはいえ、彼らは殿様の禄高のたったの1%だったことになる。これって少なすぎません???いくら泰平の世といえども、なんだかなあ〜って思うのは今の感覚。マア〜ここはそんな野暮な計算しないでサムライみたいに歩くとしようか。。。
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