地域: 篠山 記録者: きしやん (登録日: 2017/07/02 更新日: 2019/07/04)
雨に濡れても一層華やかに青色が冴えるアジサイ(紫陽花)の花は、梅雨の重く垂れ込めた雲でも鮮やかさをその美しさは変わらない。桜と紫陽花は日本を代表する花といえるでしょう。この美しい紫陽花を世界に紹介したのは、鎖国時代に医師として来日したドイツ人医師のシーボルトです。 自然科学の研究にも余念がなかったシーボルトは、日本滞在中に多くの植物の採取と調査・分類を行っています。・・・て、当時の日本はガチガチの鎖国で西洋人はオランダにしか門戸を開いてなかったはず。どうしてドイツ人の彼が入国出来たのか?という素朴な疑問に行き当たってしますのです。どうやらどうしても日本に興味を持つシーボルトは伝手を頼ってオランダ領東インド陸軍病院の医師として潜り込めたようです。ただ(ネットで調べたところでは)オランダ語とドイツ語では文法は似ているけど、発音は結構違うそうです。 とうぜん日本人の通詞(通訳)がそのことを見抜けなかったはずはないのに、何故かスンナリ?と入国許可が出てしまう。ところが世に言う「シーボルト事件」でスパイ容疑をかけられて国外追放になってしまう。当時、幕府で天文学を担当していた役人から「私が持っているヨーロッパの最新地図と日本の最新地図を交換しないか?」と持ちかけたわけです。地図の交換というのは現代なら何の支障もないですが、当時は大問題。戦争をするうえでものすごく重要な情報になるからです。そうこうするうちに公儀隠密に目をつけられ地図は没収されシーボルトは国外退去になった。ところが日本地図が幕府に取り戻される僅かのタイムラグに全て書き写しされてしまう。そしてなんとその25年後にペリーの艦隊が浦賀に来たときに提督であるペリーがその地図を持っていたことに幕府は愕然とすることになる。彼を知るうえで幾度も出てくるスパイ説はここに由来するものでしょうか。おそらくシーボルトにもその役人にもそんな大それた視点はなかったことでしょう。既に泰平の世になって200年以上もの時が過ぎているのですから。でもこれって当時の幕府政策なら即刻、戦争になるんでは???おまけに彼は恩赦され再来日すらしています。まあ〜事の真相はもっと深いものだったんでしょうが、当時の幕府の幹部たちは豊臣家を追い込んだキッカケとなった大阪冬の陣・夏の陣で絶大な威力を見せつけたのはオランダ製の大砲だったことは記憶にあったはず。今なら比べものにならない兵器はあっちにあるはず・・・だと。悔しいけど今は時期尚早なんだ。ここで飛車角を取られるようなことはするまい。そしてその100年後、新政府が樹立してからは日本は大きく世界に羽ばたき、日清日ロの勝利で世界の三大海軍国となっていったのは決して偶然ではなかったはず。ちょんまげ結ってほとんど軍隊のアップデートをしないでトボトボと歩いてたサムライ達は、意外にも自分たちの想像を遥かに超える世界観を持ってたんだなあ〜と感心させられます。
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