地域: 篠山城跡周辺 記録者: きしやん (登録日: 2017/02/16 更新日: 2019/07/04)
立春を過ぎて暦の上では春というものの、まだまだ寒い日が続きますね。好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、初名草(はつなぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、匂草(においぐさ)。これらは全て梅の別名です。そろそろ「蕾膨らむ」くらいかと期待して行ったら、なんと開花してました。梅は百花の魁とも呼ばれ古来より春を待つ心を大切にしてきました。ネットで調べると万葉集にも萩についで多く出てくる花が梅で、合計すると119首あるそうです。もともと中国の花である梅が日本で好まれるようになったのは、遣隋使を送った奈良朝に遡るとか。宇多天皇の寵愛を得て、参議から右大臣にまで登りつめた菅原道真もまた他の貴族と同じく梅を愛したそうです。ところが政敵ともいえる藤原氏の策略によって、九州の太宰府に左遷されてしまいます。東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな 菅原道真菅原道真公が太宰府に発つ前に最後の名残惜しい気持ちを込めて詠んだ歌。”東風(こち)”は東から吹いてくる風、つまり春を知らせる風のことです。「私がいなくなっても春はやってくるのだから、春風が吹くようになったら、ちゃんと花を咲かせるのだぞ」と語りかけたのですね。そして太宰府に到着した菅原道真公は、信じられないものを目にします。京の都で歌を詠み、別れを告げたはずの梅の木が彼の到着を出迎えたのです。それは彼を慕った梅の木が一夜にして太宰府まで飛んできたのです。まあ〜「そんなアホな」となりますが、道真公の才能に心酔していた白太夫という人が、彼の愛した梅の木を分けて一足先に運んで飛んできたと告げたということだとか。これが”飛梅伝説”でそれと同じ種が今も京都・北野の太宰府天満宮にご神木として現存(樹齢約300年!!)しています。で、ここで収めておけば良いのですが更に調べると太宰府天満宮は白梅なのに北野天満宮はなんと紅梅なんです。どちらも訪ねたことがあるので記憶を辿っても、検索をかけてみても間違いない!!そうだ!! これは道真公の神通力によるものに違いない・・・はず。今ならクローンとかバイオテクロノジーなどということになるんでしょうが、今年で干支が5巡目ともなるとこんなアラ探しして、素直に感動出来なくなったのは我ながら困ったもんだなあ〜って思います。。。
このコーナーでは、市民の皆さんからの投稿写真を掲載しています。多くの皆さんからの投稿をお待ちしています。▼写真の投稿について