今日、味間奥の北東隅にある御霊(ごりょう)神社で祭礼があり、私も約50名の氏子の一人として参加しました。 ここでは、戦国時代に篠山地方を支配した豪族で、明智光秀に滅ぼされた波多野秀治の慰霊を、杉林の山中の小さな祠でお祭りされています。 地元民からは「ごりょうさん」と親しみを込めて呼ばれています。 昔の祭礼は、12月8日だったそうですが、皆が参加し易いようにと、近年は12月の第一日曜日となっています。
そこの尾根を越えた所に波多野秀治の墓がありますが、参る人もいないとみえて、参道は枯れ木や落ち葉に覆われています。 そこには、古びた波多野秀治の墓石と、秀治と彼の弟の辞世の句を刻んだ新しい碑があります。 村の長老で元小学校長の波多野勝之さんに尋ねたところ、「波多野秀治の次男が味間南の二村神社に落ち延び出家し、その後、大人になってから還俗して、この奥村に住み着いた。 当時は、波多野村と呼ばれていて、裏山に秀治を祭ったんや」勝之さんも、末裔なんでしょうね、そんな話でした。
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